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2018.08.15 07:00  SAPIO

米本土爆撃した唯一の日本人は米国大統領から勇気を讃えられた

「これはどういうことですか?」

「オレにも分からん。まあ、行けば、分かるだろうよ。これからすぐ行ってくれ。多分、井浦中佐だろうが、彼は潜水艦担当で、俺もよく知っている奴だ。彼に会えば、飛行長を呼んだ真意が分かると思う」

 井浦祥二郎は第三潜水戦隊先任参謀などを歴任し、戦時下には軍令部で潜水艦作戦の立案に携わっていた。藤田はなぜ自分に軍令部から出頭命令が来るのか、まったく見当がつかなかったし、間違い電報ではないかと、何度も反芻(はんすう)しながらも夏の軍服を着込み、最寄りの横須賀駅から新橋行きの切符を買った。

 海軍省の古風な赤レンガの建物の二階、軍令部第三課と書かれたドアをノックする。案内された部屋で待っていると、井浦が「おう、ご苦労さん。田上艦長は元気か。実は、こんど君のところでアメリカ爆撃をやってもらいたいんだ。いま、シアトルで駐在武官をしていた副官を連れてくる。詳しいことは彼が説明するから」と、緊張ぎみの藤田を促し、会議室へ案内する。

 会議室には数人の参謀将校がいた。その中には昭和天皇の弟君、高松宮(宣仁親王)のお姿も。高松宮は参謀肩章をつけた中佐で、藤田より六つ年上。当時、三十七歳。一介の飛行兵曹長が今上天皇の弟君である皇族が参加する会議に列席を許されることは異例なこと。いかに海軍上層部が藤田の水上機の腕前を買っていたかの証左でもある。

 副官が円筒を小脇に抱え、会議室に入って来るなり、地図をテーブルに広げ、話しはじめた。

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