だいぶ後になってから写真を撮った渡辺達生さんにお話をうかがったとき、「普通の女優さんやタレントさんと違い、彼女の場合、脱ぐことに全く躊躇がなく、逆にこっちがタジタジになるほどとてもクリエイティブな現場でした」とおっしゃっていました。
◆被写体に「撮らされる」
1980年代から1990年代は、日本の女性の意識に大きな変化があった時代です。私にも意思はある──そんな自立への欲求が顕著になりました。そのとき、自我を吐き出し、自分を表現する手段のひとつとしてヘアヌードという写真表現がありました。男性はその“おこぼれ”をもらったのかもしれませんね(笑い)。
それ以前はまだ「脱ぐことは恥ずかしいこと」という意識が女性側にありましたが、自己表現の手段となったとき、女性にとってヌードは恥ずかしいものから「美しいもの」へと変わりました。その意味で、ヘアヌードはビッグビジネスだけでなく、あの時代の女性の自立を象徴する現象でした。保守的な日本独特の文化でもありますね。
この写真集には、なお美さんが水玉のワンピース姿で、電柱に寄り添う儚げなモノクロ写真があります。その聖女のような彼女こそ、無意識のご自身の本質であり、渡辺さんが撮りたかった写真なのだと思いました。その一枚があることで、どんなに過激に表現されても、より気高さが濁ることない透逸な作品集になったのだと思います。