否定派には相手に対してのリスペクトに欠けるという人がいるようだが、別に中指立てたわけでも唾を吐いたわけでもないし、いうほど下品だろうか? 上品ではないというだけである。別になんでもかんでも品がなければならないというわけではない。
ガッツポーズで余計なエネルギーを消費するのは投手として損という意見もある。もしそうだとしても、それは当の本人と監督が判断すればいいことだ。世の中が強制することではない。だいたいああやって緊張を解いたほうが投げやすいなら、必要なエネルギーではないだろうか。
違う競技に当てはめてガッツポーズを論じるのは野暮だが、現在公開中の『ボルグ・マッケンロー 氷の男炎の男』という映画がある。テニスファンならご存じの通り、マシーンとまでいわれる程の冷静さが個性のビヨン・ボルグと、審判や観客に悪態をつきまくって悪童とあだ名をつけられたマッケンローの、1980年ウィンブルドンでの決勝戦を描いたものだ。まさしく氷と炎のような真逆の個性のぶつかり合いは、その後のテニスブームのきっかけとなった。この作品を見れば、その理由がわかると思う。
西投手のガッツポーズを通して。個性を尊重することの尊さを改めて考えた。高校野球だからといって、「さわやかさ」「ひたむきさ」を押し付けるのは彼らに失礼である。
二十年近く前、朝日新聞のスポーツ面で高校野球についての現地取材&エッセーの依頼があり、ほぼ同じ結論を書いたら、便箋十枚にも及ぶ抗議の手紙がきた。「お前には高校野球を見る資格はない」とかなんとか。そこそこ年配の男性で元新聞記者と自己紹介があったが、あの人は派手なガッツポーズを連発する西投手に対しても今回やっぱり憤慨しているのだろうか。