「自分らの若い頃は、捕まえてきた犯人を殴るなんていうのはなんでもないことだったからね。備忘録というこんなに厚いのを掴んで…」
人差し指と親指で示してくれたその厚さは、だいたい六法全書か広辞苑といったところだろうか。備忘録というものは取り調べの時のメモのようなものだと聞いていたが、そんなに厚みがあるとは知らなかった。
「この野郎!」
元刑事はためらうことなく備忘録を振り上げ、男の頭を思いっ切り叩いた。バッチーンという音が取調室に響いたその瞬間…。
「ツルッと取れたんだよ。取れたんだ、頭が。ここの部分だけ丸く」
頭のてっぺんをぐるりと指差す。
「一瞬、何が起きたかわからなくて。大変だ、頭を切っちゃったって。血の気がサァーと引いてったよ」
だが青ざめる元刑事の目の前で、頭が切れたはずの男は、何事もなかったように平然と取れた頭のてっぺんを拾い上げた。元刑事の目は男の指先の、つまみ上げられたその物体にくぎ付けになった。
すると男は、元刑事の目の前にそれを差し出した。髪の毛がついていたそれは、ホットケーキ大ほどの大きさだったという。
「てっぺんにカツラをかぶってたんだよ。ここの部分だけ。全然わからなかったから、このぐらいのがズルッと取れた時は、大変なことをしてしまったと青ざめたよ。当時は、頭とカツラの間に乳白色の接着剤を塗ってカツラを着けていたんだが、それがまだ乾いてなかったらしくてね。叩いた反動でボロッと取れたんだよ。カツラとわかった時は、ホント安心したねぇ」
笑いながらも元刑事は胸に手を当て、フッーと息を長く吐いた。
その後どうなったのかを聞く。
「相手も悪いことをしているというのがわかっているから、問題にはならかったよ。だがこれが今なら大変だ。オレは確実に処分だね。
街で挙動不審なやつを見つけて、職質(職務質問)をかけたとする。素直に応じてくれればいいが、中には職質をかけられて面白くないのか、反抗してくるやつもいる。警官が相手の肩を押さえているだけならいいが、胸ぐらを掴んだりしているのを写真に撮られたら終わりだね。こっちから手を出したらそれでアウトさ」
取調室は全面録画となり、今や取り調べ中にコーヒーを飲むことさえ許されないという。
「やりづらい時代になったよな」
元刑事はそう言って苦笑いをした。