しかし、いつしか梶原は極真会館を自らの影響下に置こうとしているのではないかとの疑念を抱かれるようになる。梶原の弟の真樹日佐夫を大山後継の2代目館長に就けようと画策しているとも取り沙汰された。対して大山は梶原と近かった高弟らを破門し、梶原の動きを牽制した。大山と梶原の金銭トラブルもあり、両者の関係は悪化し、極真会館を二分する騒動になった。
またしても柳川が一肌脱いだ。柳川の訪韓団に大山や梶原が同行した際に、食事の席で「おまえらええ加減に喧嘩すんなよ。仲良うできへんのか」と諭したという。
それでも梶原が膵臓炎で倒れ極真会館への影響力を失うと、大山に「兄弟は運がいいな」とあけすけに語ったという。いかにも一癖も二癖もある柳川らしい。
「柳川会長を東京駅まで出迎えに行くと、『ご苦労さん』と声をかけてくれました。『殺しの柳川』というより、『侠客』というべき振る舞いでした」
大山の秘書だった米津等史は懐かしそうに、そう語る。また、柳川は朝鮮半島との関係を周囲にも一切隠さなかったという。米津が続ける。