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2018.09.17 07:00  SAPIO

「殺しの柳川」は極真会館にとって最高の虫除けだった

 大山は柳川と同じく朝鮮半島の出身で、韓国名を崔永宜(チェヨンイ)という。のちに日本に帰化したが、柳川とは義兄弟の仲にあった。大山の弟子のひとりで、現在は極真館館長の盧山(ろうやま)初雄は、「柳川相談役と大山総裁は互いに『兄弟』と呼び合っていました」と振り返る。

「極真会館には様々な後援者がいました。運送会社を経営する方もいて、ドライバーが運転中にヤクザとトラブルになると、柳川相談役に『なんとかならないでしょうか』と伝え、解決してもらったこともありました。

 支部長会議に出席しても、大山総裁の横に座りじっと話を聞いているだけで、口を挟むことは滅多にありません。池袋に極真会館の本部を建てた時には、資金不足で工事が何度も中断するほど苦労したんですが、大山総裁が柳川相談役に支援をお願いしたところ、柳川組傘下の各組にノルマを割り当ててくれたそうです。ただ、『思ったほどお金が来ない』と大山総裁はこぼしていましたけども」

 大山が頼ったのは柳川の威光だ。1969年のことだが、極真会館を全日本空手道連盟(全空連)が吸収しようとしたことがある。全空連は松濤館流や剛柔流など国内空手各派の統一を目的に設立された。当時の会長は日本船舶振興会会長で右翼の大立て者の笹川良一。赤坂の料亭『千代新』で大山と会い、「全空連の幹部ポストを提供するので傘下に入ってくれ」と求めた。

 大山はこれを拒絶した。大山は全空連が寸止めルールを取ることを公然と「ダンス空手」と揶揄し、双方は激しい対立関係となる。相手は政財界に睨みをきかす笹川である。その圧力をどう凌いだのか。

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