◆感動はしても必ずしも正義ではない
しかしそれも最近の話だ。かつて物語は啓蒙思想家・中村正直が〈小説ヲ蔵スル四害〉を論じたほど有害視され、〈小説を読むと死んでしまう〉とさえ言われた。そして国家的な道徳規範もない中、明治政府は〈天皇が親孝行や謙遜などの道徳を臣民に語りかけるという体裁の「教育勅語」〉を制定。以降多くの子供雑誌が創刊されるが、小説は〈毒入りの砂糖〉として排除され、昔話も例外ではなかった。
例えば福沢諭吉は当時の「桃太郎」には鬼の悪行の描写がなく、この理不尽さゆえに近代国家を担う子供にはふさわしくないと批判。この話を正義の英雄に書き換えたのが巌谷小波だが、巌谷版「桃太郎」が出た明治27年は日清戦争が勃発した年。〈父兄がおとなしくさせんとする小供を、小生はわんぱくにさせ〉と書いた彼の〈わんぱく主義〉は、やがて少年たちの士気高揚へと利用されていく。
「わんぱく礼賛も昔からあった価値観ではなく、日清戦争までは勉強する子がイイ子だったんです。それが不平等条約に対する大人たちの不満や子供自身の暴れたい欲求とあいまってヤンチャ礼賛的気運を生み、彼らを後々兵隊にしたい国の思惑と不幸にも合致していく。つまりそれは上が押し付けたというより、国民の側にもあった空気なんです」
やがて時代は昭和に入り、彼ら少国民に正しい道徳を説くべく担ぎ出されたのが、小川未明であり、母親に守られ、無垢でいられた子供時代を理想化する〈童心主義〉の北原白秋だ。
「特に小川は内務省の児童文学統制にも積極的に関わり、『赤い蝋燭と人魚』にウットリした私としてはかなりショックでした。いかにも軍国主義的な人ではなく、『左翼・メルヘンの人』という印象があったので、戦意高揚童話も書いていたとは、と。
母子の密着を描いた童心主義が、自我を国家に捧げるナショナリズムへと転化し、戦争が〈感動コンテンツ〉となっていく動きからは、一見こちら側の人間が国家的美学に与してしまう危うさに戦慄しました。そしてそれは皆のために頑張り、自己犠牲の美談に涙する、私自身や誰の中にもある危うさなんです」