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早稲田大学の校歌を鼻で笑う一部の「京都至上主義者」

〈都の西北、早稲田の森に、てあいつら歌うとるやろ。あれ、おかしいで。早稲田なんて、都の東、それも端の端やないか〉

 都は今でも京都。東京は都じゃあない。そう想いたがる京童(※注)は、早稲田を都の東側に位置すると言いはなつ。その立地は京都盆地の外、東山のずっとむこう、鈴鹿よりまだ東の辺境にある、と。

※注/原意は京都に住む口さがない若者を指す言葉。〈きょうわらべ〉〈きょうわらわ〉とも読む。

 一部の京都至上主義者は、明治維新による東京遷都をみとめない。遷都の勅令は、これまで一度も公布されてこなかった。その一点をよりどころとして、まだ都は京都におかれていると言いつのる。東京にある皇居は、天皇一家の行在所、外出先の仮宮でしかない、と。早稲田の森を都の東側だととらえるのも、そんな観念のたまものである。

 くりかえすが、京都の洛中人士は、東京を見下しやすい。しばしば、東京を軽んじる口吻に興じることがある。聞きようによっては、東京をきらっているのかなと、感じなくもない。しかし、その根っ子は、彼らの喪失感にある。

 東京に都の座を事実上うばわれたことは、もちろん、京都の人びともわきまえている。だが、それをみとめたくないという想いはなかなかきえさらない。この心模様が、反東京論的な物言いに、彼らをつきうごかすのだと考える。東京の人びとには、だからおねがいしておこう。どうか、彼らの言動を、勝者のゆとりでおおらかに聞きながしてもらいたい、と。

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