橘:それは、杉田氏のLGBT発言に関して、「新しい歴史教科書をつくる会」理事の藤岡信勝氏のコメントを取った記事のことですか?
中川:はい。自分たちをリベラルと称する人たちが、自分たちが気にくわないことを言いそうな人を出そうものならば、そのメディアは劣化したという風に怒り始めるんです。正しくない側の意見など紹介する必要はない、と。そういうことがあるからこそ、「朝日新書でしか出せない」という防衛策も効かなくなってきているのではないでしょうか。実際に本を出された後の反応はどんなものでしたか?
橘:いちばんびっくりしたのは、本を読まずに自分の主張をぶつけてくるひとがものすごくたくさんいることです。それよりもっと驚いたのは、読んでもいないのにAmazonに堂々を“レビュー”を書くひとが現われたことです。なぜ読んでいないのがわかるかというと、「自民党が保守と解釈している所でこの本は終わっている」と書いているからです。同じページに目次が掲載されていて、そのいちばん上が「安倍政権はリベラル」となっているのに。
でも話はこれで終わらなくて、そうなると次に、このレビューを信じて、「自民党は右ではなく中道だ」との自説を滔々と述べるひとが現わるわけです。こうした「フェイク・レビュー」の連鎖は3人ほどで止まりましたが、それは他のレビュアーが「読んでもないのにデタラメを書いている」と指摘するようになったからで、それがなければ何十件、何百件とつづいたかもしれません。さらに不思議なのは、「フェイク」だと批判されてもレビューを削除するわけでもなく、そればかりか、嘘のレビューだとわかったうえで、それを擁護するひとまで出てきたことです。
問題なのは、世界を「味方」か「敵」かの党派でしか理解できないひとが多すぎることでしょうね。『朝日ぎらい』という本が出たら、これは朝日を批判しているのか、擁護しているのか、どちらの党派の属するのかが唯一最大の関心事になる。このひとたちにとって世界は善悪のたたかいで、自分は「善」と「光」の側で、気に入らないものはすべて「悪」と「闇」でなければならないんですね。
中川:「俺たちは正義」で「奴らは絶対悪」とまずレッテルを貼って、ということですね。そこから身をかわすためには、いかにレッテルを貼られないようにするのかという戦略がないと回避できない。一旦レッテルを貼られるとそれはなかなか剥がせないじゃないですか。先ほど仰った通り、「橘玲はネトウヨになった。なぜならこんな本を出しているからだ」というのがネットのマジョリティになったら、もうひっくり返せないですし、ひっくり返すにはものすごい努力をしないといけないでしょう。