「この騒動の影響か、翌年から指揮を執る吉田義男監督は2年契約を要求。実際に1997、1998年の2年間監督を務めました。1999年からは3年間、野村克也監督が最下位ながらも指揮を執りました」
だが、1年契約の伝統はまだ完全には終わっていなかったようだ。
2002年に就任した星野仙一監督も就任要請受諾会見で、〈(野崎勝義・球団)社長は不安そうな顔をして「長期で」と言いましたけど、1年1年、勝負の積み重ねで。僕のわがままを通してもらいました。選手も1年契約。選手と一緒だ〉(2001年12月16 日 日刊スポーツ)と語っていた。
岡田彰布監督が就任3年目を終えた2006年オフ、宮崎恒彰オーナー(当時)は契約年数について〈例え話になりますが、1年契約で優勝すればやってもらうことになりますし、3年契約にしていても、成績が悪くて監督から辞任されるケースもある〉(2006年10月19日デイリースポーツ)と話していた。
“1年契約が基本線”の伝統は残っていたのだ。
2011年オフには前年に2年契約を結んだ真弓明信監督が4位に終わり解任。2012年から3年契約を結んだ和田豊監督は2014年オフに新たに1年契約を結び、2015年に3位でクライマックスシリーズ進出を果たすも、退任した。
金本監督はAクラスのチームを引き継いだにもかかわらず、就任3年で2度のBクラスを経験。3年目で最下位になっても、本当に続投するのか。ファンの不満の声は日増しに大きくなっている。