「当時の楽屋は大部屋で、聖子さんと2人でした。8位のサザンオールスターズ、7位のYMOの中継が飛んで、急に私の出番になったんです。聖子さんが『次、優ちゃんじゃない? マズい!』と着替えまで手伝っていただいて。『はい、口紅!』と手を握って持たせてくれました。会社からは、『聖子の立ち居振る舞いを見習うように』とよく言われていましたね」
1986年には1年の浪人を経て、上智大学に入学。当時、アイドルの大学進学は画期的なことだった。
「『何の意味があるの?』と反対する人もいました。でも、(創業者の)ジュニアである現社長の相澤正久さんが後押ししてくれて、すごく良い家庭教師を見つけてくださって。デビュー前、『大学に行かせる』という祖母との約束を守ってくれたんです」
在学中の1989年、ミュージカル『オズの魔法使い』への主演が決まると、「大役への自信が持てない」と吐露した。
「当時の福田(時雄)専務(※現・名誉顧問)に『人はリスクを取って、できないことにチャレンジしないと成長しないんだよ』と諭されたんです。あの言葉がなかったら、頑張れなかった。アットホームな会社で、幹部の方と話す機会がたくさんあったのも良かったです」
1999年に事務所から巣立ったが、今もサンミュージックの血が流れている。
●はやみ・ゆう/3歳から14歳までグアム、ハワイで育つ。ハワイでスカウトされ1982年にサンミュージックから『急いで!初恋』で歌手デビュー。自身が出演したコカ・コーラのCMソング『夏色のナンシー』ほかヒット曲多数。以降、様々なメディアで幅広く活動。1990年、上智大学比較文化学部卒業。
取材・文■岡野誠
※週刊ポスト2018年11月30日号