「Aさんは松岡さんよりも年上で、互いに再婚同士でした。松岡さんは6月には会社を辞めて、夫婦で実家に戻って敷地内に住み、農業を継いでいました。Aさんはまだお勤めをされているようで、朝早くから出かけて夜の8時すぎに帰ってくるような生活でした。農家仕事も手伝っていたみたいで、耕運機を自分で運転されたり、松岡さんと2人で軽トラに乗っているところも見かけました。結婚式はしなかったそうですが、これから親類縁者などを呼んでお披露目会をやろうとしていたところだったと聞いています。松岡さんのお父さんは長年町議を務めた方で、しっかりとした家柄のお家。松岡さんも真面目な方でしたよ」(松岡さんの近隣住民)
松岡さんの自宅を訪ねると、父親はこう話した。
「(昌大さんとは)どんな付き合いだったかとかは、まったくわからない。あの日は、嫁さんが(昌大さんの家に)『行くな』と止めたとは聞いている」
近しい人たちも「わからない」と口をそろえる飯干家と松岡家の関係だったが、両家にはある“接点”があった。前出・昌大さんの知人が言う。
「昌大さんの勤務先の木材会社と、松岡さんの妻Aさんの勤務先とは取引があります。Aさんは事件直後も勤務していましたが、そこでは昌大さんの勤務先の原木を加工しているために、輸送の運転手をしていた昌大さんが訪れたこともあり、そこで働くAさんとは面識があったはずです」