その考え方には大きな落とし穴がある。それは、「尊敬できる老人」かどうかを判断するのは、大抵が自分たちより若い世代だってことだよ。だから、社会的に敬われる存在、模範的な存在であろうとすると、結局は「若い世代に気に入られるかどうか」って話になっちまうんだ。
そうなると、自分では気がつかなくても若い世代へ「媚びる」気持ちが生まれてくる。自分の素直な欲求や意見があっても、知らず知らずのうちに抑え込んでしまうことになるんだよ。
人間、普通に生きてりゃ歳を取るほどワガママになるもんだ。「人に好かれよう」「尊敬されたい」なんて窮屈にならずに、ヒンシュク上等で余生を楽しもうぜ。
沢田研二は、客が少ないからってコンサートをドタキャンして、世間からボコボコに言われてた。でも、自分の思うとおり生きているという意味で、後悔はないんだろうと思う。
55歳も年下の嫁をもらって「紀州のドン・ファン」って呼ばれてた77歳のジイサンが、自宅で変死しちまったって事件もあった。
不謹慎かもしれないけど、「そんな生活してたからだよ」って周りから後ろ指を指されても、本人の意思で最期まで若い嫁と暮らせたんだから、ドン・ファンは人生に悔いなしだと思うぜ。
だからオイラは今後も、ずっと自分の「やりたいこと」を追求していきたいと思ってる。最近もピアノを真剣に習いだしたんだよ。まだ「バイエル」くらいだけどさ。5年後にはショパンを弾けるようになるか、それともオイラが先に死んじまうか(笑い)。まァ、他人からどう思われようとどうでもいいよ。自分が満足いくかどうか、それが大事なんだよ。
※週刊ポスト2018年12月14日号