「1か月ほど微熱が続き、体調が最悪やった。それで3ラウンドで棄権しました。他の試合は、すべてジム内の試合やった。(所属したジムは?)もう60年も前のことやから、覚えとらん。(通算成績は?)4勝1敗ちゃうかな」
ボクシングに携わって半世紀、「身を捧げてきた」と山根氏は言う。学歴もなく、ボクシングの実績もない山根氏は、たたき上げで会長職にまで成り上がってきた。
会長職に就いた翌年(2012年)、ロンドン五輪では清水聡がバンタム級で銅メダル、そして村田諒太がミドル級金メダルを獲得した。
「これはちゃんと書いてほしいんや。複数メダルは、これまでの日本ボクシング連盟の歴史にはないこと。わしの自慢やし、誇りなんです」
しかし、山根氏の騒動が勃発するや、村田が即反応し、自身のSNSに〈そろそろ潔く辞めましょう、悪しき古き人間達、もうそういう時代じゃありません〉と、暗に山根氏の退陣を訴えた。山根氏からすれば、飼い犬に手を噛まれた気分だったのだろう。
「あの子はああいう子じゃなかったんです。金メダル後、『会長のおかげで金メダルを獲れました』と、金メダルをわしの首にかけてくれた。プロに転向したいという時も、彼から何度も電話をしてきて、『相談したい』と。何やら、口が溶けるような、都合の良い話ばかりしていましたな」
悔しさを随所に滲ませたものの、疑惑への腑に落ちる釈明もないまま、山根氏の怪気炎は1時間に及んだ。
◆取材・文/柳川悠二(ノンフィクションライター)