「一見すると幸子は被害者、雪絵や郷田は加害者側にいるわけですが、現実ってそんなに単純じゃないし、僕が最も書きたかったのは、両者の間にそこまで明確な線が引けるのかということ。世の中、100%の善人も悪人も存在しないように、法的には一方だけが加害者として裁かれたとしても、くっきり善悪を分けちゃうのは危ないと思うんですね。
幸子が世間から理想的な被害者像を期待されて苦しむように、特に心の問題は加害者と被害者という二元論では解決できない。また、現実には加害者になりたくないという自己防衛本能や、同情でいいから注目されたいという自己承認欲求から、被害者の座を奪い合う椅子取りゲームが様々なレベルで繰り広げられてもいる。それくらい人は薄皮一枚で加害者にも被害者にも転びうる危うい存在だと、幸子にしても自分がそうなって初めて気づくんですよね」
いつ何時でも起こりうる加害者と被害者の逆転劇や、同じ被害者でも心情は人によって違うことなど、2人の邂逅は報道等では見過ごしがちな個々のドラマを浮き彫りにしてゆく。ましてやこれは仰天必至の心理ミステリーでもあり、その後の展開については詳述を避けるが、幸子や雪絵がたどり着く境地は、人間の弱さだけでなく、強さや優しさもまた感じさせる。
「復讐心がその人を本当に救うかというと違う気もするし、かといって憎しみは憎しみを生むだけだなんて言われても、渦中の当事者には綺麗事にしか聞こえない。そうした報道や第三者からは見えにくい人間心理の綾そのものが、本書ではどんでん返しにもテーマにもなっていて、人間が少しは書けたかなあと、密かに自負してはいるんです」