今回の騒動は発信する側の責任だけでなく、受け入れる住民の未熟さもあぶり出した。思想家の内田樹さんが言う。
「『児相は来るな』と言っている住民は間違っているのではなく、市民社会に生きる者としてあまりに幼く、未熟であると言えるのではないでしょうか。虐げられた幼児や子供、高齢者や妊婦、病人や障害者といった、他者の助けを必要とするいわば“社会的弱者”を支援することは、本来ならば市民社会の常識です。なぜなら、私たちはみんなかつて幼児であり、いずれ老人になり、高い確率で病人や障害者になるからです。
弱者支援とは、“時間差を伴った自分自身に対する支援”であり、国や自治体に要請されなくても、市民が自発的に弱者支援をすることで世の中が回るのに、そうした想像力が欠如した人たちが増えています。このままでは日本社会は、とても冷たくて意地の悪いものになってしまう」
その冷たさをいちばん敏感に感じ取るのは、誰でもない、最弱者である子供たち自身だ。 元東京都児相相談員で心理司の山脇由貴子さんが言う。
「児相を排除しようとする市民の言動を見れば、必要としている子供たちが『自分たちは厄介者なんだ』と悲しみを募らせてしまうことは、想像に難くありません」
さまざまな事情によって家庭内で充分なケアを受けられず、やっとたどり着いた保護してもらえるであろう場所からも、受け入れてもらえなければ、子供たちは2度虐待されたも同然ではないだろうか。
名越さんも続ける。
「子供の心はスポンジのようなもの。大人たちの言外の感情を敏感に感じ取ります。だから児相に反対する大人たちの言葉も、『他人事だと立派なことを言うけど、大人の本音はこれなんだ』と心に刻みつけるでしょう。児相の子供、一般の子供を問わず、そうした大人の発言は、間違いなく子供たちを傷つけるのです」
住まいの近くに児相ができるのを不安に感じること自体を否定するのではなく、これを機に「隣人との共生」を学ぶべきと内田さんは指摘する。
「隣人とは基本的に“何を考えているのかよくわからず、不快な人”のことです。でもそうした未知の人たちと上手に折り合いをつけて、できれば愉快に共生する技術こそ、現在の日本人に求められています。結婚生活や家族生活においても、本当に必要なのは“受け入れる技術”です」
そのために必要なのは「勇気」だと名越さんは言う。
「未知の隣人を受け入れるのに必要なのは、理屈ではなく勇気です。今回の件でも、傷ついて児相にやって来る子供たちを受け止めるには、確かな情報と勇気が必要です。まず自分自身が一歩踏み出すことが大事。個人が変わることでしか、社会は変わりません」
まずは真実を知り、隣人を知ろうとすること。傷ついた子供たちを、再び傷つけないためにも──
※女性セブン2019年1月31日号