ルールを覚えてすぐは、元インストラクターのお母さんが相手をし、わざと負けて勝つ喜びを教えたという。碁が楽しくなるように心がけたのがよかったのだろう。また、両親いわく、極度の負けず嫌いだという菫さん。まだ初心者のころ「負かして泣かれた」と証言する棋士は多い。その性格と相まって、努力が続いたようだ。6歳のころの菫さんを見て、井山五冠は「すごい才能の子がいる」と、すでに評価していたという。
菫さんが小学1年生のころ、囲碁大会で娘どうしが対戦したママさん仲間が、「お母さんが強いから打ってあげられていいですね」と声をかけると、幸さんは「娘が私に打とうって言うのですが、もうそんなに打てないわ」と答えたのに、このママさんはびっくりした。碁をやらせたい親が、なんとかして子供を碁盤の前に座らせようと必死になる構図が当たり前の世界なのに、この親子は違うと印象に残ったそうだ。
さらに、お父さんの信也九段は、「囲碁の虫」として有名だ。家にいればずっと研究をしている父の姿を見て、菫さんは、碁の勉強とはこうするものだと自然に学習したのだろう。
お父さんは碁に対して厳しく、菫さんはよく泣いていたそうだ。幼いうちにしょっちゅう叱られていたら、普通の子どもはイヤになる。それでも努力し続けられるくらい、「囲碁が大好き」というのが、周囲にいる棋士にはひしひしと伝わってくるという。
だが、2年ほど前、菫さんは伸び悩んでいた。目先を変えようと考えた信也九段は、韓国の囲碁道場に菫さんを入れることにした。
世界戦で上位を占める韓国や中国の囲碁環境は、日本とは大きく違う。北京やソウルには世界チャンピオンを輩出した名門道場がいくつもあり、プロを目指す子供達は家族で転居して修業する。韓国では朝、学校に顔を出すだけで道場に向かい、碁漬けの生活を送ることができるが、日本では義務教育を優先する考えが強い。
「中韓の環境を見ると、日本にいて世界を狙うのは厳しいと思った」と信也九段。最初は週末に母子で韓国と往復した。菫さんは韓国に行ってすぐ結果が出たため、ついに、2018年1月に一家でソウルに引っ越した。
同じ韓国の道場で勉強した期間が重なっていた日本の棋士、佐田篤史三段は「菫ちゃんは本当に囲碁を夢中で楽しそうに打っていました。強くなる人の共通点だと思います」と振り返る。普段は恥ずかしがり屋の菫さんだが、活発に道場内を走り回っている印象があるという。