そんな私にとって、転機になったのは、久米さんの夏休み。毎年夏に久米さんは休暇を取るので、私が代打に立つんですけど、久米さんが休むと大きな事件が起きるジンクスがあって。
久米さんの夏休みはいつもプレッシャーでお腹を壊すほどでした。1997年8月には、ダイアナ妃の事故を報じることになった。この時、本能的に「これは自分で続報も伝えたい」と感じたんです。“久米さん、帰ってこないで”って初めて思ったの。いつしか、私はニュースの虜になっていました。
この体験があって、翌年4月に『スーパーJチャンネル』のメインキャスターに挑戦したわけですが、人生って本当に不思議。私のような野心のないヘタレが「やってみよう」と思うようになったんですから。
※週刊ポスト2019年3月29日号