その後、現行のユニフォームに近いデザインとなったが、1960年から数年間だけ、アンダーシャツやストッキングの色が紺に変わった時代があった。
1962年選抜で準決勝に進出した時の主将・岡田慶一が振り返る。
「伝統のユニフォームに憧れて入学したら、まるで違うものになっておった。話が違うと思いましたよ(笑)。ちょうど監督が代わったのが理由でしょうが、OBの反発で、私の卒業後、元に戻った」
名門校の歩みは、ユニフォームの歴史と共にある。
(文中敬称略)
◆取材・文/柳川悠二(ノンフィクションライター)
※週刊ポスト2019年4月5日号