一般国民が(自分で音源を手に入れない限り)「ENDLESS RAIN」を聴けるのは露天の店しかなかった。もちろん「日本の歌」だったからだ。
当時禁止されていた「日本の歌」はテレビやラジオで聞くことができないのはもちろんのこと、レコードショップでその音源を購入することもできなかった。正規のレコードやカセットテープを欲しいと思ったら高価な輸入品を購入しなければならないのだが、それを取り扱っている店は限られており、手にするのは非常に難しかった。そんな一般人が「ENDLESS RAIN」を聴きたいと思ったらそれを流している露店に足を運ぶか、そこで海賊版カセットテープを購入するしかなかったのである。
この時の一般市民たちが熱狂的に求めていたものはなんだろう? あの熱狂こそが、韓国人たちの「国民感情」ではなかっただろうか? 私が思うには、あの当時のX JAPAN旋風は、韓国人たちの正直な「国民感情」だった。彼らの音楽に共感し、求めていたのだ。それでも政府やマスコミはその現実から目を背けたままだった。日本の文化は低俗で退廃的だと断じ、韓国人の国民感情を害するものだという理由で、禁じ続けたのだ。
韓国政府やマスコミの執拗な日本批判はある種、洗脳だといってもいい。放置すれば、国民感情がどんな方向へ流れていくのか韓国を支配する権力者たちはよく知っているのだ。その方向は、彼らにとって相当不都合な方向であることがわかっているために、彼らは日本文化は退廃的だと繰り返し、日本文化を楽しもうとする国民たちに「罪悪感」や「後ろめたさ」を植えつけているのだ。
ここで彼らが恐れているのは何だろう? 国民が直感的に日本の文化を好む「国民感情」の先に、日本により深い関心と好感を持つようになる可能性があることを恐れているのではないだろうか?
※崔碩栄・著『韓国「反日フェイク」の病理学』(小学館)より一部抜粋
【プロフィール】チェ・ソギョン/1972年、韓国ソウル生まれ。高校時代より日本語を勉強し、大学で日本学を専攻。1999年来日し、関東地方の国立大学大学院で教育学修士号を取得。大学院修了後は劇団四季、ガンホー・オンライン・エンターテイメントなど日本の企業で、国際・開発業務に従事する。その後、ノンフィクション・ライターに転身。著書に『韓国人が書いた 韓国が「反日国家」である本当の理由』、『韓国人が書いた 韓国で行われている「反日教育」の実態』(以上、彩図社)、『「反日モンスター」はこうして作られた』(講談社)などがある。