〈【1】ホームランが最高だけでなく、打点22、打率2割9分5厘と3部門コンスタント【2】ホームランを打った12試合中、11試合にチームが勝った【3】長島の通算ホームラン記録を抜いた〉(1983年6月7日付 日刊スポーツ)
通算本塁打1位は王貞治の868本だが、当時大卒の最多本塁打は長嶋茂雄の444本。法政大学出身の田淵は445本となり、立教大出身のミスターを上回った。この頃、パ・リーグの月間MVPには呼称があり、“オーバー・ザ・グレイト・ナガシマ賞”と名付けられている。
選考方法を調べると、最終的にはリーグ会長がデータとファンからの投票を加味して決定していた、と伝えられている。田淵が阪神出身で知名度の高い選手であり、人気者だったことも後押ししたかもしれない。スポーツ紙もスティーブの連続出塁試合は眼中になく、田淵幸一の“長嶋超え”にスポットを当てていた。
あれから36年経った令和元年、坂本勇人が開幕から連続試合出塁を続けた。それによって、昭和58年、全く注目されていなかったスティーブの記録が脚光を浴びた。
“記憶”は時が経つと、歪んで伝えられがちだ。一方で、“記録”は時間の経過によって、再発見される場合もある。当時は評価されなくても、後から振り返ると凄いとわかることがある。
プロ野球の記録は時空を超える。坂本の開幕からの36試合連続出塁は85年に及ぶ歴史の奥深さ、記録を正確に残しておくことの大切さも教えてくれた。
●文/岡野誠:ライター・芸能研究家。研究分野は松木安太郎、生島ヒロシ、プロ野球選手名鑑など。著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)で『ビッグ発言』に関する報道がどう移り変わっていったかを詳細に描くなどして話題に。歴史の中に埋もれた事実にスポットを当てることをモットーとしている。