【書評】『そしていま、一人になった』/吉行和子・著/ホーム社/1700円+税
【評者】嵐山光三郎(作家)
吉行和子が住んでいたJR市ケ谷駅から四番町へ向かう坂道沿いに「吉行あぐり美容室」があった。泉鏡花が『草迷宮』を書いた地である。平成九年(一九九七)にNHK連続テレビ小説『あぐり』で有名になった。
かつてはペパーミントグリーンのビルで屋根にはネオンサインがあり「パーマネント・ウエーヴ」という文字が光っていた。百坪ほどの地に三階建ての家があり、一階の待合室にはアールデコ風の置き物やシャンデリアまがいの電気装置があった。
主人はダダイズムを信奉する吉行エイスケで、美容室の経営を妻のあぐりにまかせて放蕩し、三十四歳で死んでしまった。残された子は吉行淳之介(長男)、吉行和子(長女)、吉行理恵(次女)の三人だった。淳之介は『驟雨』で芥川賞作家となり『暗室』(谷崎賞)『夕暮まで』(野間文芸賞)など話題作を執筆する文壇の寵児となり、七十歳で他界した。吉行和子は、劇団民藝の気品高き看板女優となり、和子さんより四歳下の理恵さんは『小さな貴婦人』で芥川賞を受賞した。目がくらむような天才三人きょうだいである。
和子さんは理恵さんと連れ立って海外旅行をしたが、内向的な性格の理恵さんは六十六歳で他界して、青山の墓に入った。残ったのは長寿の母あぐりで、九十代でメキシコの旅についてきた。つづいてネパールへ行き、これはテレビの旅番組となった。