「大変なことになっているわね」と、母は大きなため息をつきながらも落ち着いていた。
私は少々拍子抜けしたが、母は続けて語り始めた。
「戦争中も大変だったのよ」
認知症の悪化を心配していた私は、母の頭の中が遥か昔の戦争時代にワープしていることに驚いたが、母があまりに真剣で、いつになく判然たる表情なので黙って聞いた。
「爆弾が落ちる音を聞いたのよ。大変なことになったと思った。怖いなんて思う余裕もなかったわね」
第二次世界大戦が始まったのは母が7才の時。敗戦が色濃くなった10才の時、家族と離れて学童疎開をした。
「群馬県の新治村、猿ヶ京温泉の桑原館という旅館よ。
終戦の日、先生が子供たちを集めて言ったのよ。『戦争は終わりました。日本は負けました』って。子供心に戦っているとわかっていたのね、みんな、すごくがっかりしたの。大人は気が抜けたような顔をしていたけどね」
今住んでいる町の名前も忘れるのに、疎開先の地名はスルスル出て来て、終戦の日の様子も克明な描写だ。
「東京に帰って来たら、家も何もかも焼けちゃって、家族で借家に住んだの。いつもお腹がペコペコで、何にもなくて、ただ“生きてるだけ”だった。そうやって生きてきたのよ」
そうか、命とはそういうものか…と思った。隣の席に座っていたおじいさんも、母の話に耳を傾けて何か言いたげだったが、受診の順番がきて、話はそこで途絶えた。
認知症の担当医がいつものように調子を聞くと、母はすっかり“現在”に戻っていて、
「ええ、おかげさまでいいですよ。とっても元気です」と、お決まりの返答。“とっても元気”に、この日ばかりはズシリと重みを感じた。
※女性セブン2019年8月22・29日号