ここで思い出されるのが、「運命の相手を探す」といったコンセプトを持つ『バチェラー』発のカップルがシーズン1、シーズン2ともに早々と別れているという事実である。番組は運命論を押すが、どの結末も運命論の否定となっている。あれだけ選抜を重ねても呆気なく破局する。つまり、『バチェラー』とは大いなる茶番劇だといえる。
大仰に叫ばれる「純粋な恋愛が結婚に向かうべき」といった番組上の建前を笑いつつ、本質は「男女には色々あるよね」そのゴタゴタが観たい! と願う人が楽しめるコンテンツ。そもそも恋愛リアリティーショーの愛好者には「くだらない番組をよく観られるね」といったヤジが飛ぶことが多い。いや、こっちは「くだらない」から観ているのだ。ここで反論をしておく。
とは言っても、今回の“本当の結末”を観せられたときには、流石に付き合いきれないと思ったのも本音。「選んだけど、やっぱ変えた!」という友永の煮え切らない態度には少々イラついた。コチラも長い時間を割いて鑑賞している。結末が番組外で起きることに由来するならば、茶番も過ぎる。『バチェラー』愛も冷めてくる。番組終了直後、僕が持った感想だ。
ただ不思議なことに、日が経つごとに友永への怒りが消えていったのも事実だ。2人は応援できないが、茶番劇と考えている番組にムキになってどうするの? という気もしてきた。こうやって熱量込めてコラムを書いている時点で、僕は友永のルール違反に感情を揺さぶられているわけで……。異なる目線で見直せば『バチェラー』を楽しませてもらっていることになる。
確かに友永は人として最低なことをしたのかもしれない。しかし、番組を盛り上げたという点では当初の見立て通り過去最高のバチェラーだったのではないか……。
常々思っているのだが、恋愛リアリティーショーの本編は配信される動画ではない。本編は動画で起きた出来事に対し、視聴者同士が語り合う場にある。つまり、出演者の貢献度は語るべき素材を提供した多さで測るべきだ。そういった場合、友永の貢献度の高さはシーズン1、2のバチェラーと段違い。大量の語るべき素材を提供しているではないか! やはり『バチェラー・ジャパン』シーズン3はシリーズ最高傑作であり、やはり友永は最高のバチェラーだった。