かつてのユニバレ現象で、みなが気恥ずかしさを感じた理由のひとつは、「低価格」だということです。これはジーユーでも今のワークマンでも同じです。いくら高品質・高機能と言っても、それらは低価格商品なのです。
同じ被りでも、例えばルイ・ヴィトンやプラダといった高級ブランドは、決して「ヴィトン被り」とか「プラダ被り」とは揶揄されません。かつてのユニクロや今のワークマンなら気恥ずかしく、ヴィトンやプラダなら親近感を感じるというのは、ひとえにそれが「高価格品」であり「ステイタス性」があるからです。
お金さえ出せば誰でも買えるとはいえ、ヴィトンやプラダというブランドにはステイタス性がありますから、それを手に入れた者同士は、「愛好家」としての親近感さえ抱きやすいのです。一方、かつてのユニクロは低価格ということが周知されたうえに、ステイタス性がありませんでしたから、他人と被ると恥ずかしかったのです。
しかし、最近はほとんどユニバレという言葉も聞かなくなりました。これは、被り現象がなくなったからではありません。今でも毎年冬になると大量のウルトラライトダウン着用者を見かけます。おそらく着用者同士も被っていることに気が付いていると思います。しかし、ことさら恥ずかしそうにしていないのは、ユニクロもある種のステイタス性を確立したからだと考えられます。
その他、愛好者が多く手が届きやすいブランドとして知られるスポーツ用品メーカーのナイキやアディダスの場合はどうでしょう。
ナイキ、アディダスのスニーカーやTシャツ、トレーナー、ジャージパンツなどを穿いている人が街中でどれほど多いことか。特に最近はジャージパンツをデイリーカジュアルとして着こなすのが流行していますが、脇に3本ラインの入ったアディダスのジャージパンツの着用者は驚くほど多く、そこら中で「アディダス被り」が起きています。
しかし、決してネガティブに捉える人はおらず、誰も気にしていないのも、やはりアディダスというブランドにステイタス性があるからです。
では、どうしてユニクロがステイタス性を確立できたのかについては、いくつかの理由が考えられます。