砂漠の真ん中が緑の大地に変わった(2009年、アフガン東部ナンガルハル州で横田徹撮影)
実は最近、アフガン社会に根差した活動をしてきた中村医師を取り巻く状況に、ある変化が起きていた。2018年2月にアフガン政府から勲章を、今年10月にはガニ大統領から「名誉市民権」を授与されたのだ。私はそのことが、中村医師が卑劣な犯行の“ターゲット”になった遠因ではないかと考えている。
現在もアフガニスタン全域で武装組織タリバンや「イスラム国」(IS)の関係組織が跋扈し、首都カブールでは、タリバンによる自爆テロが相次いでいる。ガニ大統領に反目する勢力もあるだろう。
にわかには受け入れがたいが、アフガニスタン国内で外国人が有名になるということは、そうしたテロの標的になりやすいことを意味するのだ。政治テロの実行犯は、犯行のインパクトや標的のネームバリューを重視する。国連スタッフや現地大使館が標的になるのも同じ理由からだ。
中村医師を襲った悲劇の背後には、そうした事情があるように思えてならない。
◆中村医師の志を継ぐべきは…
2005年から2011年まで、ペシャワール会現地派遣ワーカーとして中村医師とともにアフガンで井戸や用水路を掘り続けた杉山大二朗氏によると、近年は現地に定期的に渡航しており精力的に活動していたという。
「高齢になったこともあり、中村先生は自分がいなくなった後もアフガン人の現地スタッフが事業を継続できるように、用水路の工法から維持管理の方法までを書いた教科書を作成していたそうです。
2008年に同僚だった伊藤和也さんが殺害された後、何とか事業を継続して節目を迎えた2011年、アフガンに残ると希望した私に中村先生は、『若い君には人生まだまだ先がある』と日本へ帰るよう言いました。現地で活動するのは先生だけで大丈夫だろうかと思っていましたが、その先生がいなくなってしまうなんて……」
杉山氏はそう声を詰まらせた。中村医師は現地の危険を十二分に理解し、将来ある若い日本人スタッフをこれ以上犠牲にはできないと判断したのだろう。