2019年は日米通算2500奪三振を達成したダルビッシュ有(AFP=時事)
YouTuberダルビッシュは動画投稿の原点回帰ともいえる内容である。動画の撮影場所は自室、撮影スタッフは自分一人だ。カメラの前で自らの考えを独白していく。途中、子供の声や犬の鳴き声が動画の邪魔することもある。照明もなく、テロップも表示されない画面は他のYouTuberと比べて、とことん簡素。正にど真ん中ストレートといったシンプルな動画である。
初期HIKAKINも暗い部屋でボイスパーカッションを披露していた。世界的企業のAppleもガレージの機械いじりからスタートした。そういったことを踏まえて観れば、アメリカの自宅から配信されるダルビッシュの動画には成功の萌芽といったノスタルジーが薫ってくる。
全ての動画を鑑賞したのち、ダルビッシュにYouTuber適性の高さを感じた。ダルビッシュはYouTuberに向いている。
「YouTuberの動画はレベルが低い」と言われることが多々ある。「レベルが低い」と評される原因は、動画を楽しむための予備知識を剥いだ点にある。過去、多くの人を楽しませてきた芸能、芸術、文芸といったエンターテイメントは予備知識がないと楽しめないことも多かった。対してYouTuberの動画はその真逆だ。過去のエンタメとは分断された別物である。間口の広さだけを貪欲に追求した末に生まれた全く新しいジャンルだといえる。よって動画内で表現できることも限られてくる。
極論をいえば、YouTuberが示すべきは自身のパーソナリティーだけ。自分語り、もしくは自らの身体を通して得たリアクション(ゲーム実況も含まれる)だけが求められる。ゆえにYouTuberは総じてオーバーリアクション。感情の起伏を視聴者と共有することに意識を傾ける。