山田洋次監督に重大トラブル(時事通信フォト)
山田さんとの出会いは、1995年に『男はつらいよ 寅次郎紅の花』を観た後、短いエッセイを新聞に書いたんです。「いい加減、浅丘ルリ子さんのリリーと寅次郎を結婚させて、新シリーズを出発させたら?」という内容で。それをルリ子さんが読んで「エッセイのリリーの挿絵を山田監督が欲しがってる」と電話してきたんです。
でも、ペンでサラッと描いたものを渡すのは失礼だから、いつかちゃんと描いてあげようと思っていたんです。それから10年以上経ってから、いきつけの蕎麦屋でたまたま山田さんにお会いして、今の話を挨拶代わりにしたわけ。すると「渥美さんの肖像画をほしい」と仰るから、すぐキャンバスに描いてプレゼントしました。それから蕎麦屋で会ったり、一緒に映画を観る仲になったわけです。
今度の新作のコンセプトを話したのは2012年1月に西武池袋本店で開催した「山田洋次監督50周年記念展」の直前です。僕はこの催しのポスターを頼まれました。
初めての出会いに続き、またしても蕎麦屋での話ですが、山田さんが「渥美さんなしに寅さんは撮れない」と寂しそうに言われた。だから僕は「撮れますよ」と応じたんです。彼は「どうやって?」と驚いて顔を上げたので、「過去49本の寅さんの映画から抜粋、引用してコラージュすればいい」と提案したんです。
瞬間、山田さんは一言も発しなかったけれども、相当刺激を受けたようでした。次に「じゃあ、寅さんの過去作品を全部観てくれますか」と仰るから、ワクワクしましたよ。ギャラとか名誉とかではなく、僕にとって長年、映画製作は飽くなき興味の対象ですからね。だから「作品を作るなら、関わらせてください」と申し上げたんですけど、その一言には山田さんは無反応のままでした。
それから1週間ほど経った後も同じ話題になりました。僕も過去作品を全部観る気になってましたしね。昔の寅さん映画を観たいと言っても、山田さんは無言のまま何にも仰らない。それっきり山田さんからはその件では連絡もなかった。