「文化って武装するところがあると思うんです。本書を俳号の話で始めたのも、本来は俳句に付随するものでしかないのに粋とか通とか、らしさありきに逆転しがちだから。○○はこうあってほしいみたいな期待を僕は肯定も否定もしない。誤解は解きたいけれど風流の“コスプレ”も面白いし、どっち側の常識にも頑固になりたくないんですね。
俳人の夏井いつきさんの和装くらい自然にされるのは別にいいんです。僕もラーメンはカフェオレボウルより、中華風の丼で食べたいわけで。問題は、その気分と本質を取り違えずに、いかに面白く、いかに内向きじゃない言葉で語るかでした」
そんな俳句の本質を語る言葉の一つに、〈「ということを俳句にした人がいる」〉という表現がある。本書では「今日の一句」として、著者が好む高浜虚子や同人仲間の句が紹介され、自身の句もいくつか文中にあるが、〈サンダルで走るの大変夏の星〉、〈水筒の麦茶を家で飲んでおり〉等々、その発見自体、著者のものとしかいいようがないのだ。
「例えば写真も、どんな一枚にもそれを撮った人がいるという情報が付帯していて、技術の巧拙なんかより、そっちの方がよほど雄弁で、かけがえがないかもしれない。よく句集を読んでると思うんですよ、あ、いるいる、人がいるって(笑い)」
〈俳句は数学ではないから、「正解」はない〉。そのくせイイ句とダメな句の違いは歴然で、一筋縄でゆかない俳句業界にあって、長嶋氏自身は正解し続けることを自らに課してもいる。