「鍋をかき混ぜるととろみがついてきたり、油のはじける音がしたり、いい香りがしたり…そんなふうに変化していく様子を見るのが好きでした。それに、“すぐに結果が出る”ことがうれしかった。“うまくいった!”とか、“こうしたら味が変わった”とか、“自分もできた”とか、単純にトライ&エラーが面白かった」
食べることにも関心が強かった。
「家の近くにあったスーパーや八百屋さんでは、変わったものをたくさん売っていました。当時はまだ珍しかったマンゴーとか、輸入のチョコレートやチーズも。母に頼んで買ってもらって、料理するのが楽しかった。
今でも鮮明に覚えているのはアボカド。当時は1つ600円もした。売り場の宣伝文句に“別名・森のバター。しょうゆをつけたらまぐろのトロのよう”と書かれていたのが気になって。誕生日だったかな。母にねだって手に入れたのは、忘れられません」
山田さんは、東京大学に進学するも料理の道に進むという夢のために中退し、“フレンチの鉄人”石鍋裕シェフに弟子入りした。その後、本場フランスでの修業を経て、『クイーン・アリス』の料理長などを歴任、そして、「日本一おいしい病院レストラン」と呼ばれる『ヴァイスホルン』のシェフとなった。
山田さんの両親は、常念岳で山小屋を営んでいた。常念岳は松本市と安曇野市(共に長野県)にまたがる山で、北アルプスの1つだ。
飛騨山脈を「日本アルプス」と呼んだ名づけ親は、イギリス人宣教師のウォルター・ウェストンだが、そのウェストンが常念岳を見て、「これは日本のヴァイスホルンだ」と言ったそうだ。ヴァイスホルンはスイスのアルプス山脈の山の1つ。レストラン名はここに由来している。
※女性セブン2020年1月30日号