「横国は受かっていたので、学校の先生は、東大受験を諦めて横国への進学を勧めてきました。でも、将来、自分の上司が東大卒で、その人にこき使われたら…と想像するだけで嫌だったんです。“俺だって東大に行けたかもしれない”という後悔をしたくなくて、もう1年浪人することにしました」
予備校には通わず、自宅で学習する自宅浪人を選んだ永見さん。指導者がいない茨の道を突き進み、1年後、見事合格した。
「自分で考えて、行動し、自己管理ができるようになりました。もともと引きこもり気味のゲームオタクだった自分が、どんどん変わっていく楽しさにハマりましたし、母への感謝の気持ちがより大きくなりました。
1年間、ただ家にいるだけという状況なので、申し訳ない気持ちもたくさんありましたから、家事を手伝ったり家計を圧迫しないように節電節水のために、電気料金や水道料金をグラフ化してどう減らすかを考慮したりしました」
浪人生活を乗り越える自律心はいかにして養われたのか。家族はどう支えていたのか。永見さんの母(43才・会社員)に尋ねると、“自分の子供だから”とか“受験生だから”という特別扱いはしなかったという答えが返ってきた。
「会社だと、人材を育てるためのコーチング技術というのがあって、教えるというより話を聞き出しながら、本人に気づかせたり考えさせたりするんです。なので琉輝にも勉強の進捗状況を聞いたり、点数が伸びた科目を聞いて成功体験を話させたりしてはいました。
あとはとりたてて…私は料理も好きじゃないし、目の前で勉強されるのも嫌なので…。宅浪時代、『勉強は私が仕事で出かけている間にやっといて』と言っていたくらいです」(永見さんの母)
もともと高校卒業後は就職してほしい、と願っていた母。浪人中に「やっぱり受験やめた」と言ってくれることを期待してもいたという。
「大学に行ってほしいと思ったことは一度もないんですけど、本人が行きたいなら行くなとは言わないですし、落ちたとしても、もう1年浪人しても構わないと思っていました。それに、努力してるのを知っているから受かってほしいとは思いましたけど、もし琉輝が受からなかったら、ほかの子が受かるだけで、仕方がないこと。受験ってそういうものですよね。ただ、すごく合格を望んでいる分、落ちちゃったときはきっときついでしょうから、100%受かるという前提で話をするのではなくて、『受かる実力はついてきたけど、あとは運次第だよね』という話をしたりして、期待値の調整はしていました」(永見さんの母)