施設もそうです。そこが本当に安心できる場所なら、駅で強制捕獲された子たちも逃げたりはしない。ところが中には彼らを檻に閉じ込めてまともな食事も与えない施設もあったらしい。何ら子供のためにならない政策なのに、行政は『対策しています』といい、子供に不信感や溝を生む罪深さは、今も何一つ変わっていないのかもしれません」
やっと手に入れた1本の芋を、それすら食べられずに死んでいった子供の隣で弟妹と分け合った金子さんの〈自分を守るのに精一杯で、あげたい気持ちはあるんですけど、あげられないんですよ〉という言葉や、仲間の山ちゃんやカメちゃんと3人、生きるためには盗みもしたという小倉さんの〈生きられない人はみな死んでいった〉という言葉。
2年に亘る路上生活の中で野良犬同然に扱われ、学校に通ったら通ったで教師に壮絶なイジメを受けたという山田清一郎さん(83歳)の〈日本人というか、人間は、案外そういう冷たさを持っているんじゃないかと思うけどね〉という言葉など、彼らが10代そこそこで絶望を知ってしまったこと自体、戦争最大の罪といえよう。
「例えば小倉さんが視力を失った時、夜通し背中をさすってくれたカメちゃんが自殺したのは、日本が豊かになりつつある中でのこと。〈なんで僕だけが〉という孤独感が一番人を追いこむんだと涙を流す小倉さんや、苦学の末に教師になられた山田さんが常に気にかけていたのが現代の子供たちのことでした。
今はいじめや虐待に問題が変わっただけで、生きづらさは一緒だと、不幸な事件がある度に最も心を痛めているのは孤児の方々のようにも感じます」