クルーズ船内での日本政府の対応を批判するニューヨーク・タイムズ紙は、東日本大震災(2011年)の福島第一原発事故時の日本の危機対応を研究した米テンプル大学のカイル・クリーブランド教授の発言を交え、こう掲載した。
《日本は、ときに、自分の能力の犠牲者になる。日本はあらゆる点ですべて機能しているし、よく構造化された、機能的社会だ。しかし、レールから外れたときでも、日々行っている通常のプロセスで充分だと考えてしまうところがある。しかし、特別な状況では、特別な対応が求められるのだ》
間違っていることが明らかでも、“建て前”に無言で従えば、誰も責任を取らなくていい──これが一度決めたルールに縛られて、柔軟な対応ができない、日本という“マニュアル国家”の正体なのだ。
被害者となったのは、クルーズ船の乗員乗客ばかりではない。
「船内で対応にあたった検疫官などの政府職員にも感染者が続出しました。政府の対応が後手後手に回ったため“クルーズ船は巨大な感染源”とのイメージが先行して、船内で作業した政府職員などが自分の地域に戻ったときに“近寄るな”“子供を幼稚園に登園させるな”と周囲から言われたケースもあります」(前出・政府関係者)
政府の対応の拙さにより、騒動の初期に武漢からチャーター機で帰国した人々の宿泊先でも混乱が生じた。
「宿泊先の部屋の鍵すら受け取れず“軟禁状態”に置かれた帰国者は精神的に追い詰められました。帰国者の受け入れ作業にあたった政府関係者や公務員も過酷な勤務状況が続き、2月1日には内閣官房の男性職員が自殺に追い込まれました。現在でも症状を訴える患者の処置に追われる医療関係者は、自ら感染のリスクを負いながら疲労困憊で奮闘してます。こうした現場の人々の疲労困憊ぶりを国が理解しているとは思えません」(全国紙社会部記者)
国の無策のしわ寄せで、現場の限界が近づいている。
※女性セブン2020年3月26日・4月2日号