固定観念は悪。先入観は罪──。1990年代にヤクルトの監督として黄金時代を築いた野村克也氏(享年84)はそう信念を持ち、指揮を執っていた。実は、CS『ホームドラマチャンネル』で再放送中の『教師びんびん物語』(1988年4~6月、フジテレビ系の月曜夜9時枠で放送)にも、野村氏の格言が当てはまる。
『熱中時代』(日本テレビ系)、『3年B組金八先生』、『スクールウォーズ』(ともにTBS系)など大半の学園ドラマは、通常“別れの春”である3月に最終回を迎える。必然的に“卒業”がクローズアップされ、感動のクライマックスが訪れる。それなのに、なぜ『教師びんびん物語』は“出会いの春”に放送され、高視聴率を獲得できたのか。
フジの月曜夜9時枠は1987年3月限りで萩本欽一の『欽ドン!』シリーズが終了し、4月から連続ドラマになった。現在の『月9』は“3か月で1本”で全11話前後だが、同年4月から12月までの作品の放送期間と回数はバラバラだった。
4月6日~5月11日 『アナウンサーぷっつん物語』6回
5月18日~7月27日『男が泣かない夜はない』11回
8月3日~9月21日 『ラジオびんびん物語』8回
10月5日~11月9日 『ギョーカイ君が行く!』6回
11月16日~12月21日『荒野のテレビマン』6回
当初、フジテレビの第一制作部が4月からの連続ドラマを進めていたが、間に合いそうもない状況だった。放送2か月前に突然、方針転換がなされ、編成部が制作会社と協力して何とか形にしたのだ。当時、編成部所属で、第1弾『アナウンサーぷっつん物語』の企画者である亀山千広氏(現・BSフジ社長)はこう語っている。
〈2時間ドラマを作るつもりでキャスティングしていた役者さんで急きょ作ったのが、『アナウンサー―』だった〉(『月9ドラマ青春グラフィティ』1999年11月発行)