要するに「マナーの悪いヤツは去れ」ということだ。しかし、別のメールアドレスから再びIDを取得するなどはできるわけで、完全に解決するかは分からない。場合によっては文脈関係なく特定単語を使用すると利用停止になるかもしれない。たとえば「死ね」が禁止ワードだった場合、「『死ね』なんて書くのはまずいよね」と書いた場合も自動的にIDが凍結される恐れもある。「言葉狩り」のような状況にもなり得るわけで、一部の過激なバカにより、他のユーザーの利益が失われることにもつながりかねない。
だが、今後はそうしたバカに合わせる必要があるということだろう。こいつらが暴れまくることにより、社会からは自由が失われ、規制だらけとなる。コロナ禍でも、緊急事態宣言や休校措置が取られたのに海外に行き感染するバカにどれだけ振り回されたか。
彼らをなぜ止められないのかといえば、「バカだから」と言うしかないのだ。こうしたネットの誹謗中傷関連事件やいわゆる「バカッター(バカなツイッター)騒動」が発生するたびに私は「なんでこんなことをするのですか?」と取材を受けてきた。
毎度何らかのまともな分析をしようと試みるも、結局は「バカだから」としか言いようがないのだ。世の中にバカがいる以上、バカはネットでもバカである、というだけだ。
しかしながら、ここでキチンと考えておきたいのが、自らが被害者・加害者になり得るという「当事者性」である。
「著名人には何を言ってもいい」という「有名税」的感覚が今回はあったと思われるが、「有名税」なんてもんはない。誰もが石を投げつけられるべきではないし、いくら著名人であろうとも感情はあるし、罵詈雑言を浴びせても良いわけではない。小学生の道徳の教科書のようになってくるが「自分が言われてイヤなことは言ってはいけない」という話なのである。