そういう構図を強要するのは立派なハラスメントなのだとカメラマンに伝えたかったが、彼の横にずらりと並ぶ男性たちを見ると私は怖じ気付いて、編集長の背中の直前まで手を持っていった。後からA氏にこの写真は絶対に使わないよう頼むつもりで、こわばりながら笑顔を作った。本当は後ろから蹴り飛ばしてやりたい気分だった。
この時、きっぱりと断れなかったことを今でも後悔している。それなりに長くやっていて、年長の部類になる私がいわなければ、いつまでたっても、撮影のために男性に媚びさせることになんの疑問も抱かない人たちが減らないだろう。自分の尊厳のため、そして他の女性たちが同じ思いをする機会を一つでも減らすために、拒否しなければならなかった。私にはそれができなかった。
帰り際、私は嫌味のつもりで告げた。
「対談と聞いていたので、編集長とお話しするのかと思ってたんですけれど」
すると、こんな言葉が返ってきた。
「君が僕の目を見て話さないからさ」
もう何かをいう気にもなれないし、一秒でも早くここを出たかった。私が脱力していると、編集長は応接室のピアノを指差した。なんでも、その日の夜に読者を集めてのクリスマスパーティがあり、そこでピアノを披露するそうだ。その練習で忙しいんだとか。
私は、帰宅してすぐA氏にメールを書いた。この「対談」はなかったことにしてほしいといった内容を何度も書いては消した。結局、私が背中に手をやっているカットは絶対に使わないようにとだけ伝えた。なんとせこいやり方だろうか。さらにみじめな気分になった。
この日の数か月前、ハリウッドでは大物プロデューサーがセクシュアルハラスメントで告発され、#metoo運動が始まっている。このニュースはかなりのインパクト持って大々的に報道されたことは周知の事実だろう。かの編集長や編集部の方々は、こうした大きな時の流れを知らなかったのだろうか。だとしたら、いかに流行りの時計だの人気のレストランだの最新の高級輸入車については詳しくても、時代遅れの集団だといわざるを得ない。女性にモテることを優先事項にされているようだが、モテるわけがない。だって、彼らにとっては女性も「いくつになってもやんちゃなオレ」を演出する小道具の一つでしかないのだから。せいぜい貧乏くさい女の子にタカられるくらいだろう。
数週間後、手元には対談を装った記事が掲載された雑誌が送られてきた。さも楽しげに対談をしたように見え、私は後悔で大げさでもなんでもなく吐き気がした。あの雑誌はそれから一年もたたないうちに廃刊になったと聞いた。そりゃあ、そうでしょうよ、あの感覚、ズレズレだもん。