鈴木:今回の神戸山口組の分裂騒動で、山健組とは違う神戸側の組織が絆會と合流するという可能性も出てきたのでは?
溝口:それもあり得るとは思います。ただ、六代目山口組に戻るという選択肢はもうないでしょう。
鈴木:この5年間で、六代目山口組が抗争において優位に立ったのは確かですが、神戸山口組も絆會も今に至るまで存続できてしまっているということ自体が、暴力によって築き上げてきた山口組の“ブランド”を毀損してしまっています。
溝口:それが山一抗争(*1)との大きな違いですね。山一抗争では竹中正久・四代目組長を始め多くの死者を出したが、一和会を解散に追い込んだ山口組は暴力の宣伝効果で組員を増やし、より巨大化していった。
【*1:1984年、竹中正久組長が四代目を襲名したことに反発した反竹中派が「一和会」を結成。竹中組長は一和会に殺害されたが、山口組の報復が激化。1989年の一和会解散まで双方で25人の死者を出した】
鈴木:テレビや新聞、夕刊紙が、毎日のように抗争を取り上げて、暴力団といえば山口組という認知度を築きました。
溝口:しかし今回の場合は、六代目山口組も組員を大きく減らしている。人員的にも金銭的にも、六代目側のほうが抗争する力があるのは間違いないが、抗争事件の刑罰が重刑化して1人殺したら無期懲役の今、派手な抗争はできない。
鈴木:ただ暴力団の存在意義が“殺してなんぼ”であることは変わらない。山口組分裂の直前に終結した道仁会と九州誠道会の分裂抗争(*2)は、足かけ8年で一般人を含む14人もの死者を出している。他のヤクザに対し、時代のせいで抗争できないとは言い訳できません。喧嘩をしなければ、他団体も山口組に特別な脅威を感じなくなってしまう。
【*2:九州の指定暴力団・道仁会の人事をめぐって九州誠道会(現在の浪川会)が分裂。2006年から8年に及ぶ抗争で47件の事件が発生し、一般市民を含め14人が死亡した】