岸信介は東條内閣の閣僚として「宣戦の詔書」に署名し、戦後は総理として日本の自立と復興に力を尽くした。一方、安倍寛は反東條の立場で戦争に反対した。この2人の祖父を持つ「政治的ルーツ」は、晋三にとって戦後日本の指導者として誇りになり、武器にもなるはずだ。
父・晋太郎からも、祖父・寛の政治家としての覚悟や行動を聞かされて育ったはずである。それなのに晋三は、「岸の孫」であることは強調しても、「寛の孫」であるとは決して口にしようとしない。タカ派政治家としての立場から、いわば「反戦リベラル」的な思想の持ち主だった寛を“政治的ルーツ”と認めたくないからだろうか。そうとは考えにくい。
なぜなら、冒頭で紹介したベテラン秘書の証言のように、晋三はまだ右も左も定まらない“政治家の卵”だった初出馬のときから、選挙戦で「安倍寛の孫」とアピールすることを拒否していたからだ。
筆者には、父・晋太郎に対する反発が、父方の祖父・寛の否定につながっているように思えてならない。
安倍父子の微妙な関係については、拙著(『安倍晋三 沈黙の仮面』・小学館)に詳しいが、晋太郎は幼い頃に両親が離婚、若い頃に父を亡くして育ち、愛情表現が不器用だった。息子・晋三も自分の考えを押し付けてくる父に反発し、距離を置いているように感じられた。
そのことが、父が受け継いだ祖父・寛の反戦思想への反感につながっているのではないか。
晋三が若き日の共著『「保守革命」宣言』(1996年刊)の中で岸と晋太郎について書いた文章からその一端が読み取れる。少し長くなるが引用する。