違法行為であることを認識しながら、それを実行することは、法治国家において取り締まりの対象となる。大麻の有用性を唱えたい、主張したいのであれば、現行法を厳守しながら法律を変えていく運動をすれば良い。違法行為を違法だとわかっていて行う人間がいくら大麻の有用性を主張したところで、誰が信用しようというのか。さらに──。
「今年初めから伊勢谷の行動確認を行なっていた当局ですが、捜査の中で伊勢谷に近い関係者の存在が浮かび上がり、逮捕はこちらが先ではないか、という見方もあった。この人物は大麻以外の薬物の疑惑もあるのですが、使用者が違法なものを確実に所持しているタイミングを慎重に測る必要があります。常習度が高く、より自信を持って逮捕に持ち込める伊勢谷が先になった」(全国紙記者)
別の薬物ではなく「大麻だから逮捕された」という口実がなくなれば、伊勢谷を擁護する声のトーンも下がる。当局は、大麻だろうが覚せい剤だろうがコカインだろうが、所持や売買、使用などの違法行為が行われていればただ検挙するのみなのである。
簡単に自身の意見を表明できるネット上では、自己都合による解釈に重きを置き、知りたいことしか知ろうとしないという人たちが一定数いる。そのため世界で例外的な大麻の合法化が標準であるかのように語り始めるなど思考が偏重し、一般的に悪いことでさえも屁理屈をこねて正当化しようとする動きが目立つ。このような人々は、やたらと声が大きいのも特徴で、一部分だけを切り取れば、この声こそがマジョリティなのではないかと錯覚するほどである。特に大麻による事件が起きるたびに妄信的な人々が騒ぎ出すのは、ネットでの情報収集の難しさを象徴しているようにしか見えない。
◆参考文献:『大麻合法化を考える 本当に害は小さいのか、医療目的の使用の是非は?』(原田隆之、Yahoo!ニュース個人9月10日付)
(※2020年10月1日、原稿の一部を修正しました)