「アイドル」となった山口百恵
実際、安定感のある森昌子、明るいキャラの桜田淳子、少し陰りのある山口百恵。「花の中三トリオ」のバランスは絶妙だった。
「しかし当初、山口百恵は音域が狭くて、歌手としてはギリギリライン。売り出すためには仕掛けが必要だったのです」
清純さを前面に出したデビュー曲『としごろ』のセールスは、いまひとつ伸びなかった。そこで、酒井さんは大胆な作戦に出る。デビュー2作目で、あとに“青い性路線”と呼ばれる『青い果実』のリリースに踏み切ったのだ。過激な歌詞に、全国のPTAから非難が殺到した。
「話題性が欲しかったので“わが意を得たり”という心境でした。何より、性の目覚めは誰にも共通するテーマであることから、若者の共感を呼ぶに違いないという確信がありました」
山口百恵ならどんなに過激な歌詞であっても、彼女の放つ清潔感が融和してくれるはずだという狙いは的中。『青い果実』は大ヒット。山口百恵は一躍トップアイドルへと躍り出た。因みに「アイドル」という言葉を日本で広めたのは、酒井さんだ。
「ニューヨークへ行ったときに同業者から、フランク・シナトラが10代でデビューしたとき、『アイドル作戦』なるものが繰り広げられたと聞きまして。IDOLはラテン語のIDOLAが語源。『偶像』『憧れの人』といった意味です。それまでは『歌う青春スター』と呼ばれていましたが、帰国後に手がけた南沙織、郷ひろみ、山口百恵を“アイドル路線”と称して売り出したところ、CBS・ソニー以外の音楽レーベルでも盛んに使われるようになったのです」
当時、酒井さんが意識していたのは、歌が歌手本人の「成長の記録」であるということだ。
「何者かを演じ続けるアイドルは続かない。才能のもう一歩向こう側に見え隠れするリアリティーこそが人の心を引き寄せる。そう私は考えていたのです。その期待に応えてくれた百恵さんは、最高のアーティストの1人でした。