母の半生を自問自答
戸田は高校生になると、仕事の関係で単身での上京を決断する。これでそれぞれが別に暮らすことになったが、戸田は破かれた家族写真のように、バラバラとは感じなかった。
「これで誰も不公平じゃない。やっと対等な関係になれたと喜んでいたようです。ただ戸田さんは仕事も忙しくなり、まだ高校生ということもあって、しばらくしてお母さんが身の回りの世話をするために上京しました。その後は、一緒に暮らしたこともあるし、近くで別々に暮らしたこともある。でも基本的には二人三脚の関係を続けていました」(前出・戸田の知人)
母親の協力もあって、仕事は軌道に乗って行く。『それいけ!アンパンマン』(日本テレビ系/1988年)の声優で知名度を上げると、その後、女優として本格デビューする。『ショムニ』(フジテレビ系/1998年)、『ちゅらさん』(NHK/2001年)など人気ドラマに出演するバイプレーヤーとして開花していった。一方で、故郷で暮らす父親のことを戸田は忘れることはなかった。
「お父さんに会いに、たびたび“実家”に戻っていたようです。戸田さんの中では、父も母もイーブンという考えが強く、お母さんとの距離が縮まった分、忙しくてもお父さんとも会うようにしていたようです」(前出・戸田の知人)
家族とは、ほどよく距離感を保つもの。そんな感覚が、彼女の中に根付いてしまっていたのかもしれない。戸田は2度、自分の家族を持ったことがある。1度目は1980年の23才のときで、同じ声優の男性と結婚するも4年で離婚。2度目の相手は、1990年に結婚した俳優の井上純一(62才)だった。
「井上さんの実家を訪れたとき、なんとも言えない思いになり、胸が押しつぶされそうになったそうです。家族が互いに遠慮することなく、自然に振る舞っている。食卓には多くの食器が並び、それぞれ座る場所が決まっている。それは、戸田さんが初めて目の当たりにした“普通の家族”だったのでしょう」(芸能関係者)