「主人」や「家内」が主従関係や役割分担を含んだ意味であるのは確かですが、「主人」と呼んでいるから相手を立てているとは限らないし、「家内」と呼んでいるから家に縛りつけておきたいと考えているとも限りません。「旦那」だって、意味としては雇い主やスポンサーのことですが、実際には「ウチの旦那ときたら」と若干の軽蔑のニュアンスを込めて、悪口や愚痴を言う場面で使われることが多々あります。
問題になっている「嫁」も、妻のことを指す言葉として全国的に広く使われるようになってきたのは、ここ10~20年ぐらいでしょうか。関西ではもともとポピュラーな言葉で、お笑い芸人の影響で全国に広まったという見方もあります。その呼び方から親しみを読み取る人もいれば、偉そうに感じる人もいるでしょう。聞こえ方の違いや好き嫌いがあるのは仕方ありません。
もっともらしい「正義の剣」を振りかざしてドヤ顔するのもけっこうですが、世の中にはもっと大切なことがあります。それは、言葉には多彩なニュアンスがあると知ることや、よその家の夫婦の呼び方に文句を付けるのは、極めて傲慢で失礼でくだらないと気づくこと。どう呼び合うかは夫婦の問題です。
妻もしくは夫が「嫁」という言葉が嫌なら、その夫婦は使わなければいいだけ。「パートナー」や「配偶者」は気取っていて嫌と感じる人もいるでしょう。自分の妻を「奥さん」と呼んだとしても、「身内に『さん』をつけるのはヘン」と言われるような話ではなく、いろんな意味合いや距離感や気持ちを込めて、あえてその表現を選んでいるわけです。
「嫁派」も「妻派」も「パートナー派」も、お互いを尊重して、どうでもいいイチャモンを付け合ったりしないで、仲良く生きていける世の中にしていきたいもの。それが、この手のことに文句を付けたがる人が好んで使う「多様性」ってやつです。そして、「嫁」という言葉が持つ意味合いやニュアンスの変化にも敏感でありたいもの。それが、この手のことに文句を付けたがる人が好んで使う「アップデート(アプデ)」ってやつです。