と、少しかみしめるように言葉を切り、話を続ける。
「4月に入ってすぐ、緊急事態宣言が発令された頃には、いまできることをやろうって、気持ちを切り替えていましたね」
そうして、まず彼が始めたのは自身のインスタグラム『写真日記』に、写真付きで日記をアップすることだった。
「あれはプロモーションであり、いつも応援してくれているファンのみなさんに喜んでもらえたらうれしいという気持ちの表れでした。実はもう1つ、バンドなしでどこまでできるのかという実験的な試みでもあったのですが、6月12日には『宮本浩次バースデイコンサートat作業場』と銘打った弾き語りライブを開催して生配信したのです。そんなこんなで、自粛中も忙しかったですね」
号泣しながら歌い、心が浄化されるのを感じた
自粛中の忙しさの理由は、ほかにもあった。
「もともとソロアルバムの次に、カバーアルバムを発売するという計画が動いてはいたのです。『あなた』と『恋人がサンタクロース』は、すでに昨年11月にレコーディングを終えていましたし。でも、それ以外に何を歌うかは決まっていなかったので、選曲しなくちゃいけなくて。
とはいえ膨大な数があるじゃない? 昭和の歌謡曲って。そこでまず、私が生まれた’66年からバンドデビューした1988年の間に絞り、その上で、気になる歌を1日1曲以上カバーしてみようと決めて、全部で150曲くらい歌ってみたのです」
ちなみに、初日に弾き語りをしたのは、GAROの『学生街の喫茶店』と『ジョニィへの伝言』『二人でお酒を』の3曲だった。
「演歌もいいですよねぇ。『北の宿から』とか『夢追い酒』とか(と、ワンフレーズを歌い出す)。私が涙もろいせいなのか知らないけど、号泣しちゃったりして。だって歌謡曲って人生の縮図ですよ! “人生って儚いよね、どう考えても”とか、しみじみ思ってしまって……つまり心の琴線に触れまくりで、泣きながら浄化されるのを感じるという。結果として実にいい時間を過ごすことができました」