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2020.12.14 07:00  週刊ポスト

水島新司氏が引退 草野球でよく対戦した高田文夫氏の思い

引退を表明した漫画家・水島新司氏と高田文夫氏との思い出

引退を表明した漫画家・水島新司氏との思い出を高田文夫氏が振り返る

 放送作家、タレント、演芸評論家で立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、漫画家・水島新司氏の引退と、1980年に『THE MANZAI』(フジテレビ)を立ち上げたときの佐藤義和ディレクターとの別れについてお届けする。

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 この節、お別れが多くて陽気な私だって少しは切ない。突然の“水島新司(81)引退”。日本中の野球小僧、漫画少年にとってONの次にリスペクトしているのが水島先生なのだ。

 昭和33年(1958年)漫画家として18歳でデビュー。長嶋茂雄のデビューと同じ年ですよ。以来63年間ひたすら描いてきた。

『男どアホウ甲子園』(1970年~)『野球狂の詩』(1972年~)『ドカベン』(1972年~)『あぶさん』(1973年~)。黙々と描きつづけ、たしか2018年の「あぶさん」の読み切りが最後の作品ではなかったか。

 1981年にスタートした『ビートたけしのオールナイトニッポン』、生放送が深夜の3時に終りいつも新宿の居酒屋へ行っていたのだが、少し余裕もできたので新しく出来た焼肉屋・四谷の「羅生門」へ明け方行くようになった(50代の男の子達にはもうおなじみの店名)。その店をやっている石井さんって人が草野球で水島先生のチーム。四谷三丁目で居酒屋「あぶさん」も始めると、プロ野球選手やらマニア達が集まり聖地になった。いつしか若い衆も増え“たけし軍団”を結成。神宮の草野球場で水島軍団ともよく激突。草野球で200勝以上をあげている水島投手の肩と、足立区に伝わるペンキ打法でみごとなバッティングをみせる北野選手の対決はみものだった。私もウラ口入団で時々代打に出してもらったがいつも目を見張る凡打だった。

 描いて凄く、実戦の投法も凄く、まさに野球の伝道師。ここ何年もつづく大好きなパ・リーグの隆盛が一番のプレゼントだと思う。静かに、本当に静かにペンというバットを置いた。あぶさんよ、永遠なれ。

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