ミャンマーでクーデーターが起きる地理的要因や政治体制について語った
11月の選挙には日本をはじめ世界各国が選挙監視団を送り、選挙が平穏に順調に行われたことを確認しています。少なくとも大規模な選挙不正は見つかっていないのです。軍による言いがかりと考えていいでしょう。
ではこのままクーデターを起こした勢力による政権が続くのか。これはまだわかりません。多くのミャンマー国民が反対運動を起こしています。これがどこまで続き、どこまで広がるかを見ていくしかないでしょう。
ひとつ、クーデターを起こした勢力に有利に働いていると思うのは、民主化以前、軍事政権が首都を移していたことです。現在の首都はネーピードーですが、2005年11月以前はヤンゴン(旧名ラングーン)でした。もし、ヤンゴンで反対運動が盛り上がっていたら、首都にある政権は危機的な状況になったでしょう。人口の少ないネーピードーに移転していたことがクーデター勢力に有利に働いています。首都移転は軍事政権時代のことですから、軍事政権が倒れないようにするための手立てだったのではないかと感じます。
親日的で中国嫌いの人々
さて、テレビのニュースなどで、日本にいるミャンマー人の人たちがクーデターに反対する抗議運動をしている映像を見た人も多かったのではないでしょうか。その映像の中で、在日ミャンマー人のひとりがこんなことを言っていました。
「ミャンマーには日本企業がたくさん進出しているけど、ミャンマーの人は悪く思っていない。だから日本政府もミャンマーの政府に抗議してほしい」
この発言は、ミャンマー人が親日的だと伝えて、そんなミャンマーを救ってほしい、日本がミャンマー軍事政権に圧力をかけることを期待しているということですよね。
「ミャンマーを助けてほしいから、親日をアピールしている」と捉える人がいるかもしれませんが、そうとは言えないのです。
日本は戦前、スーチーさんの父・アウンサン将軍を助けてイギリスからの独立を支援したという過去があります。ただ、日本は傀儡のビルマ国をつくり、アウンサン将軍を失望させてしまうのですが。それでも、現在も日本の「軍艦マーチ」がミャンマー軍の行進曲として使われています。こうした日本とのつながりがあり、親日的な人が多いのです。アウンサンスーチーさんは、かつて京都大学東南アジア研究センターに客員研究員として在籍していたことがあります。ミャンマーの歴史や、アウンサンスーチーさんの半生、日本と東南アジアの関わりなどについては、『池上彰の世界の見方 東南アジア』で詳しく述べているので、興味がある方はお読みになってください。