変えるべきものほど変わらない
被災地で炊き出しや物資の運搬に率先して当たる反社会勢力の行動力をテーマに取材を続ける古毛は、焼け跡で収容された遺体の中に他殺と見られる死体があり、兵庫県警〈滝川警部〉らが動き始めたと小耳に挟む。そして住民たちの証言から、死体の主がバブルに足を掬われた元高利貸〈余廉将〉で、妻は横暴な夫を恐れて逃げ、福原のソープで働く娘も古毛が姿を見かけたあの日以来、消息を絶った事実を掴むのだ。
「自戒も込めて言いますが、メディアというのは物事を安直に煽りがちで、当時はオウムのことも散々叩いた。ただ個々の信者に関しては他人事とは思えない感覚を私も共有していたし、なぜ優秀な彼らが凶行に走ったかは、今も社会全体の問いとして残されたままです。
仮にバブルとその崩壊が、戦後日本人が信奉してきた物質主義や金銭至上主義に対する疑念を生み、彼らを宗教に走らせたとすれば、いつまた似たことが起きてもおかしくはありません」
古毛は父殺しを疑われた寿々絵の行方を追う一方、麻原逮捕後も教団傘下のパソコンショップで働く桐田を度々取材。大手企業の重役を父に持つ元東大生に聞きにくいこともあえて聞き、信頼を築くが、やがて一見バラバラな事件と事件の間にある接点が浮上する。その衝撃の結末もさることながら、今もって続く政官財の腐敗と搾取の構造には眩暈すら覚える。
「何しろ書き出しが〈変わらないものは変わらない〉ですからね。1995年の本編を2020年の序章と終章で挟む形にしたのも、何が変わって何が変わらないかを可視化するためで、前者は何といってもウィンドウズ95の登場です。私も当時はネットって何? と思ったクチですが、今ではネット抜きの巣ごもり生活なんて考えるだけでゾッとする。
かと思うと官僚接待や日米地位協定など、真っ先に変えるべき腐敗や不条理ほど変わらない。それでも1995年が、戦後日本人が誇ってきたものの多くが砂上の楼閣だったと露呈した転換点であることは事実で、少なくとも国は信用するな、そんな枠は超えて違うことを考えようよと、私は元役人だから言うんです(苦笑)」
日本に再び陽が昇るとしても、「全く別の方向に昇るんじゃないんでしょうか」と西村氏は言い、渦中では見えなかったものが離れて初めて見えてくることはよくあると、26年前のあの夕陽の輝きに思いを託すのだ。
【プロフィール】
西村健(にしむら・けん)/1965年福岡生まれ。6~15歳まで大牟田市で育つ。東京大学工学部卒。在学中から作家志望で、故・内藤陳氏が営む「深夜+1」と日本冒険小説協会に出入りするも、「酒だけ飲んでデビューはできないまま」労働省に入省。約4年で退官しライターに。1996年『ビンゴ』で小説デビューし、2005年『劫火』と2010年『残火』で日本冒険小説協会大賞、2011年『地の底のヤマ』で吉川英治文学新人賞など4冠、14年『ヤマの疾風』で大藪春彦賞。170cm、60kg、A型。
構成/橋本紀子 撮影・喜多村みか
※週刊ポスト2021年4月9日号