死は当人だけの問題ではなく、残された人たちの問題でもある。そのため、「元気なうちから家族で話し合っておくことが大切になるでしょうし、さらには、本人の意思を書面で確認できるケースに限るといったルール作りが必要ではないでしょうか」と、釜本氏は言う。
「制度の整備を進めるなら、70歳の誕生日を迎えた時点で安楽死や尊厳死、延命治療についての自分の意思を役所に届け出るといった仕組みがあったほうがいいのではないか。考えが変わったら更新すればいい。
認知症になったら、本人の意思が確認できないケースもあるから、書面のかたちで家族が確認できるようにしておくのです。安楽死や尊厳死を認めるなら、残された家族が判断に苦しむことのないような仕組みづくりが重要だと思っています」
認知症になったとしても
「父は、尊厳死については明確に賛成しています」
そう語るのは、認知症研究の第一人者であり、自身が認知症を患っていることを公表している長谷川和夫氏(92)の長女、南高まり氏(58)だ。
「父は1995年に、母と一緒に『日本尊厳死協会』に入会しました。クリスチャンである父はよく『生かされている』という言葉を使います。それは、人間は『人に支えられて生かされ、また、神に生かされている』という意味です。
病気やケガなどで回復の見込みがない場合に点滴やチューブでつながれて“ただ生かされる”、そうした自分の意志が届かない状態は望まないと父は話します」
2017年に「嗜銀顆粒性認知症」と診断された長谷川氏は、尊厳死を望む意思をどのように表明しているのだろうか。
「2013年、父がまだ現役だった頃、尊厳死の宣言書と、『事前願い』として亡くなった時に連絡してもらいたい宛先や葬儀に関する要望が書かれた手紙を預かりました。何かあった時はこの通りにしてくれ、ということです」
どんな死に方を望むか──本人にも、家族や周りの人間にとっても重大な判断となる。だからこそ、自分の意思の伝え方について、一人ひとりが考えることが重要になる。
※週刊ポスト2021年6月18・25日号