当時を振り返ると表情が曇り、口が重くなる。日本球界に9年ぶりに復帰した「平成の怪物」に野球ファンに大きな期待を寄せていたが、小倉氏は教え子に待ち受けるいばらの道が見えていた。
2015年のシーズン中に右肩関節唇および腱板クリーニング術、ベネット骨棘切除術、後方関節包解離術を受けるなど、3年間でわずか1試合の登板に終わり、ソフトバンクを退団。テスト入団した中日で2018年に6勝4敗、防御率3.74でカムバック賞を受賞したが、その輝きが続かない。2019年は右肩の故障でわずか2試合の登板に終わり退団。昨年、古巣・西武に14年ぶりに復帰したが1軍登板はない。
期待を裏切られたファンからはネット上で「もう限界だ」、「引退したほうがいい」など辛らつな声が飛んだ。それでも松坂を一番近くで見てきた小倉氏はフォームの修正を再三指摘してきた。
「左足を上げるときに左肩を入れ過ぎるから、どうしても反動で体の開きが早くなり、右肘が下がる。この投げ方だと腕が横振りになるから変化球が抜けるし、ムダな動きも多いからケガをしやすくなる。何度も言ってきたよ。でも、大輔は『わかっていても、できないんです』と言うんだ。(理由は)体の状態なんだろうな」
上半身の力に頼った投球フォームになり、下半身のパワーを上半身に伝えた力強い球が見られなくなった。
そして決断のときがやってきた。小倉氏は引退報道の直前、奇しくもこう語っていた。
「オレはメジャーで引退するべきだと思ったんだ。でも大輔には故障で終わりたくないという思いがあるんだろうね。あきらめきれないんだよ。オレにも2つの思いがある。『よく頑張った。お疲れさま』という気持ちと、『もうちょい頑張って最後に1、2勝してほしい』とね。ただ、この状況で(国内の)独立リーグや台湾は絶対にやっちゃいかん、それは言いたいね。“松坂大輔”っていう看板がある。頑張るだけ頑張って……引き際が大事と言うしかないよね」
関係者に「これ以上、チームに迷惑をかけることはできない」と話したという松坂。恩師の言葉に応えるように、ユニフォームを脱ぐことになった。
取材/文 平尾類(フリーライター)