永と同じ時期、同じ長野県・小諸に疎開していたことから親交が深く6000もの楽曲を生み出したのが昭和7年生まれの作曲家・小林亜星(2021年没、享年88)である。毒蝮は小林とも忘れられないエピソードがあると語る。
「千葉の松戸に新しいスーパーマーケットができるっていうんで、そのオープン記念に俺のラジオ中継が入ったの。亜星さんは同じセレモニーの別の企画で来てたんだけど、わざわざ俺のところに来てくれてね。亜星さんは松戸が初めてで『ワンカップ2本と週刊誌2冊買って、上野から常磐線に乗ってきた』って言うんだけど、上野から松戸って20分くらいだから、ワンカップを開けたとたんに到着。俺が『松戸はそんな田舎じゃねえ』ってツッコんで大盛り上がりだった。変なところから才能をひねりだすのが永さんなら、才能を出し惜しみしないのが亜星さんだった」
永は晩年、前立腺がんやパーキンソン病と闘いながらラジオ番組への出演を続けた。
「病室から中継したこともあるし、最後の頃はスタジオに来てもひと言、ふた言だけ。だけど永さんはそこにいるだけでいいんだ。そこにいるだけでリスナーは喜ぶ。『喋るのはひと言でもいいから、そこにいてくれ』って言ったら涙を流して喜んでいました」(毒蝮)
※週刊ポスト2021年7月30日・8月6日号