「男女別定員」は特定の学校
まず、現状を少し整理しよう。「男女別定員」といっても都立高校全体がそうであるわけではなく、旧学区に属する普通科に限る話である。単位制の高校、たとえば新宿、国分寺、墨田川などは「男女合同定員」。総合学科、専門学科もみな「男女合同定員」である。
このほか「男女枠緩和」という制度があり、「男女別定員」で合格者を決めている高校でも募集人員の10%は男女合同の順位で決めているところが10数校ある。
有力校が「男女別定員」であることで注目されているという面があるが、旧学区に属する普通科がどのくらい男女差があるかといえば、青山以外の進学指導重点校(日比谷、戸山、西、八王子東、立川、国立)は男子164名、女子152名である。青山は男子144名、女子133名。12名、11名の差である。
進学指導特別推進校、進学指導推進校も区部の学校はほとんどがこの比率(三田、竹早は募集規模が小さい)で、多摩の指定校は男子123名、女子114名というところが多い。
以前はもっと極端だった
今回、指定校の募集定員をすべて書き出してみたが、「男子164名、女子152名」という数字を見て、正直に言うと「こんなものなのか」と感じた。筆者は都立高校の出身だが、自分が受験したころは各学区のトップ校はおおむね男子300名、女子100名の比率であった。
小野寺みさき氏が書かれた『都立高等学校における男女別入学定員の変遷』(早稲田大学 教育・総合科学学術院 学術研究)によると、旧制中学校を前身とする学校の1967年度の一次募集人数はこんな状況だった。
【両国】男子350名・女子100名
【日比谷】【戸山】男子335名・女子115名
【西】男子320名・女子130名
【小石川】男子315名・女子135名
【九段】【小山台】【新宿】【北園】【立川】男子300名・女子100名
【墨田川】男子275名・女子125名
一方、旧制高等女学校を前身とする学校は逆に下記のような状況であった。
【小松川】女子300名・男子150名
【富士】女子275名・男子175名
【三田】女子250名・男子100名
【駒場】【白鴎】【南多摩】女子250名・男子150名
【竹早】女子200名・男子100名
【多摩】女子150名・男子100名
【八潮】【桜町】【深川】男女同数
つまり都立高校も私立高校のように各校の戦前からの歴史を反映した募集定員だったのである。旧制中学校を前身とする学校のほうが旧制高等女学校を前身とする学校より男女差が大きいことがわかる。
東京私立中学高等学校協会編の『東京の私学60年の歩み』によれば、当時の東京の高等学校の生徒数の内訳は下記のようになっている。
●1965年
都立男子生徒数/6万2322名、都立女子生徒数/4万4469名
私立男子生徒数/10万8946名、私立女子生徒数/11万8240名
●1970年
都立男子生徒数/8万1067名、都立女子生徒数/6万8849名
私立男子生徒数/11万1180名、私立女子生徒数/11万7239名
全体でも都立は男子のほうがかなり多く、私立は女子のほうが多い。